1. 悩める女性やご家族のお立場を常に考えながら、よりよい医療をご提案(ご提供)します。
2. からだやこころを悩める女性から何でもご相談いただける、温かい雰囲気づくりを目指します。
3. 清潔さと上質さを兼ね備えた、快適な診療環境を創造して維持するように努めます。
院長印出 秀二 (いんで ・ しゅうじ)

●略歴 |
慶應義塾大学医学部卒業 |
慶應義塾大学医学博士 |
●現職 |
いんでレディースクリニック院長・同理事長 |
●得意分野 |
東洋医学 (漢方療法) |
婦人科腫瘍学 (婦人科腫瘍一般) |
女性医学 (女性ヘルスケア一般) |
生殖医学 (不妊症診療) |
●所有医療資格 |
産婦人科専門医(日本産科婦人科学会認定) |
母体保護法指定医(熊本県) |
院長よりご挨拶申し上げます
心から信頼できる「かかりつけのクリニック」が見つかるのはある意味で奇跡かもしれません。『患者さまのこれからの生活がより健康的でストレスの少ないものであり続けられるようにお手伝いしたい。』 その一心でこれからもスタッフ全員で協力して全力で治療にあたり、癒しの温かい雰囲気をつくれるように心懸けます。
副院長印出 佑介 (いんで ・ ゆうすけ)

●略歴 |
日本医科大学医学部卒業 |
日本医科大学医学博士 |
●現職 |
いんでレディースクリニック副院長 |
福田病院 (非常勤医師) |
ソフィアレディースクリニック水道町 (嘱託医) |
●得意分野 |
臨床遺伝学 〔胎児医学(出生前診断)〕 |
婦人科腫瘍学 (婦人科腫瘍全般) |
女性医学 (女性ヘルスケア全般) |
生殖医学 (不妊症診療・不育症診療) |
●所有医療資格 |
産婦人科専門医・同指導医(日本産科婦人科学会認定) |
臨床遺伝専門医(日本人類遺伝学会認定) |
周産期専門医・同指導医(母体・胎児)(日本周産期・新生児医学会認定) |
超音波専門医・同指導医(日本超音波医学会認定) |
女性ヘルスケア専門医(日本女性医学学会認定) |
抗加齢医学専門医(日本抗加齢医学会認定) |
妊娠初期胎児超音波認定者(英国胎児医学財団認定:NT・NB・TR・DV) |
新生児蘇生法(専門コース)インストラクター(日本周産期・新生児医学会認定) |
がん治療認定医(日本がん治療認定医機構認定) |
母体保護法指定医(熊本県) |
副院長よりご挨拶申し上げます
『身近な場所に親身になって相談してくれるクリニックがある』 その理想を実現するべく、私たちは一期一会の精神で、みなさまのご期待に可能な限り応える知識と技術と真心を用意したつもりです。心と体のモヤモヤを包み隠さず打ち明けてすっきりしませんか?リラックスしてフランクな会話を楽しみつつ一緒に悩みを解決できる雰囲気づくりに努めます。
昭和 39 年(西暦 1964 年)に、肱岡正(ひじおか・ただし)医師が熊本市新生に肱岡産婦人科医院を開業して初代院長に就任しました。地域に密着したアットホームな医療施設を目指し、悩める女性お一人お一人の健康を第一に考える姿勢は、現在もかわらず受け継がれています。そのかげには初代院長夫人の肱岡敏子(ひじおか・としこ)の献身的な姿がありました。 | ![]() |
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昭和時代から平成時代の過渡期に医院の第一次増改築がはじまり、平成3年(西暦 1991 年)に印出秀二(いんで・しゅうじ)医師を副院長に迎え、常勤の産婦人科専門医2名体制で肱岡・印出産婦人科医院が始動しました。さらに医療法人社団新生会を発足して医院を法人化し、地域医療の質の向上と運営の透明性を確保しようと考えたのです。 |
分娩数は次第に増えて最盛期を迎え、開院以来一万人以上の新生児が産声をあげました。平成 22 年に初代院長が引退し、印出秀二医師が院長に就任した一方で、社会情勢は刻一刻と変化します。熊本県の出生数は減少し続け、(熊本市の出生数は平成 17 年を底値にやや回復傾向ですが)平成 26 年6月から分娩の取り扱いを一時中止せざるを得ませんでした。 | ![]() |
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時代がかわっても私たちの初志と信条はかわりません。悩める女性がよりよい人生を歩まれるお手伝いを続けるために「より満足度の高い診療」を支える「より居心地のよい環境」と「よりきめ細かい接遇」が必要と考えました。平成 27 年5月から印出佑介(いんで・ゆうすけ)医師を副院長に迎え、同年9月から新たな施設名の下で、大規模な改装工事に着手しました。 |
ここで私たちは予期せぬ急激な転機を迎えます。 平成 28 年4月14日に発生し、群発する余震が続く熊本地震は悩める女性や私たちの「平穏な日常」を瞬時に奪いました。絶望的な心境の下に不自由な避難生活を強いられる一方で、多大なストレスに同様に苦しんでいる女性に少しでも笑顔を取り戻したい気持ちが募ります。クリニックが「こころによりそえる場所」になるべく、一日も早い再建と復興を胸に誓います。 |
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なぜ施設名を変更したのでしょうか?
①「肱岡・印出」から「いんで」に
半世紀前から引き継がれる初代院長夫妻の姓「肱岡」は、クリニックの象徴であり、夫妻のなき今も私たちの心の拠り所です。しかしいつまでもそれに甘えられません。「親の光は七光り」のことわざを反面教師に、二人の意志を引き継ぎ、あえて名前をふせる挑戦を決意し、またより身近に感じられるように平仮名で表現したのです。
②「産婦人科医院」から「レディースクリニック」に
身体的・精神的・社会的(な悩み)と、女性の悩みは多様化しています。必ずしも病名が付く理由があるとは限りません。温かく優しい気持ちで、悩める女性の声に耳を傾けながら不安や不調を受け止めてサポートしたい。私たちは女性の病気を診るのではなく、病気に悩む女性を診るのだ、という使命感をより強く意識したのです。
悩める女性やご家族がこれから歩まれる、よりよい人生の道の先をともに見つめ続けながら、いつまでもよりそっていきたい。そんな「人生の道しるべ」のような、身近で信頼できる「あなたのかかりつけのクリニック」を目指します。まずは私たちにぜひご相談ください!